京都丹後ウルトラマラソン

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『京都丹後ウルトラマラソン』 営業部_高梨

初めまして。営業部新人の高梨と申します。
2014年9月14日(日)に開催された京都丹後ウルトラマラソンの100kmの部に挑戦し、なんと完走することができました。私は100kmの挑戦は初めてでしたが、13時間14分6秒で走りきることができました。

大会は毎年9月中旬の開催で、かなり気温が上昇し暑さを耐え忍ぶ大会になります。また、練習も夏場の暑い時期になるので暑さにどれだけ耐えるかがカギとなる大会だと個人的に考えています。
このレースに向けて私は練習量よりも練習の質を高めることに意識してきました。仕事を終え帰宅後、すぐに晩御飯を食べ、30分休憩後、5キロ走り、1キロ泳いで、また5キロ走るというトレーニングを平日に週3回ペースで5月から続けてきました。

トレーニングのポイントは、
1) 胃を鍛えるために晩御飯をトレーニング前に食べること。
2) 泳いだ後は一時的に体が重くなるので、後半の疲れ切った体を仮想してフォームを崩さないよう走ること。

総仕上げとして、長距離を走る練習を7月と8月に1回ずつ50km近く走り本番に備えました。
この大会は私の母校である三重大の先生、その教え子、私の三人で参加しました。
在学中、先生と一緒に毎日のように泳いで走っていたことを思い出します。

京都丹後ウルトラマラソン

京都丹後ウルトラマラソン

京都丹後ウルトラマラソン

京都丹後ウルトラマラソン

さて、京都丹後のコースは、日本海に突き出た丹後半島をぐるっと巡り、 前半は、網野町をスタートして、西方向へ走り、久美浜湾を1周して再び網野町に戻ってきます。この間、約150m程アップダウンを繰り返す七竜峠を行きと帰りに2度越えなければなりません。後半は、網野町から東方向へ走り、完走できるかの試練である高低差約400m程ある碇高原牧場への長い坂と、越えてからの急激な下りが待ち受けている過酷なコースです。

当日は、3時15分に起床、大福もち2個とおにぎりを3個食べ、いざスタート会場へ。スタート時、かなり涼しく星空もきれいで空気が澄んでいたことを思い出します。スタートから20km地点あたりまで足取りは軽くとても気持よく走ることができました。

いつも40km地点あたりに差しかかると体の節々がかなり痛いのですが、『おおっ?おおーっ?痛くないっ!』
自身の練習の成果を実感しながらフルマラソンの距離である42.195kmを通過しました。

50kmを超えた地点から、股ズレが発生しペースダウン・・・。『あ〜ああっ〜〜〜股が。。。すげぇ痛い。。。』 商店のおばちゃんにサラダ油をもらい股に塗りたくって対処しました。
体の節々からかなりの痛みが出てきたのもこのくらいからでした。
何とか痛みをだましだまし60km地点までやってきました。この地点からは、今まで走ったことがなく自分にとって未知の領域でした。

この時はさすがに辛くて、まだフルマラソン分を走らないといけないのかと絶望的な気持ちになり、情けないことに半泣きながらも前に進みました。

京都丹後ウルトラマラソン

京都丹後ウルトラマラソン

京都丹後ウルトラマラソン

ここからは、何度も棄権しようと考えましたが、社長にも『完走してきます!』と啖呵を切った手前、ここで引いたら男じゃねぇなと歯を食いしばって前に進みました。山を登り切り、下って80km地点に来たときには、時間にも余裕ができたおかげか、何故だか気持ちも穏やかに。 人間は限界を超えるとこういった気持ちになるのでしょうか。。。
ゴール地点では多くの人たちが『おかえり!おかえり!』と出迎えてくれます。いつも聞き慣れている『おかえり!』という言葉がこれほどまでに響くものでしょうか。

たまらず涙をこらえきることが出来ず、ゴールテープを切るときにはぐちゃぐちゃでした。

マラソンというスポーツから学んだことは自身の限界を超えたとき、どう自身が受け入れるのか。どう自分と向き合うのか。どう自身を打ち破って少しでも前に進むのか。という非日常を体験でき、とても有意義な時間でした。また毎年、共に走る友人や応援してくれる人がいるからこそ、ゴールに向かう闘志を抱き続けけられたのだと思います。最後に、この京都丹後ウルトラマラソン大会を開催し、運営を支えて下さっている沢山の方々、一生懸命ランナーを応援してくれる方々に心から感謝致します。

『ありがとうございました。また新しい目標に向かって走りたいと思います!』

最後までお読み頂きありがとうございました。