『副社長就任から三ヶ月。』

副社長就任から三ヶ月。

代表取締役社長
加納壮浩 (かのうたけひろ)

1978年生まれ
愛知県名古屋市出身

幼稚園 絵画教室
小学校 野球部 水泳部
中学校 野球部
高 校 音楽とファッションにハマる
専門校 星野道夫氏の写真に心を打たれ、写真の世界にのめり込む

2002年 〜 2006年 有限会社ZOOM
建築フォトグラファー 白鳥美雄、浅川敏に師事

2006年 〜 2008年 渡米
ハリウッドアクター撮影アシスタント、CM撮影アシスタント

2008年 〜 2009年 STORYTELLER,INC
撮影担当:京都国際ホテル、旧ホテルフジタ、リーガロイヤルホテル京都

2009年 〜 株式会社スイレイ

副社長就任から、およそ三ヶ月。なにか変化はありましたか?
※ このインタビューは、2014年7月(副社長就任時)に取材したものです。

基本的にはなにも変わっていないですね(笑)
うちは大企業というわけではないので、実は専務の役割と副社長の役割自体はそんなに変化はないんです。
ただ外部の方々からは次に社長になる人間なんだな。という見方をされることもあるので、より意識するようにはなりましたが、とにかく今は自分が出来ることを確実に、そして一歩ずつやっていこう。それしかないですね。
あと僕は、企業にとっての最重要課題は「人作り」にあると思っているのですが、やはり組織内の意思を統一していくことの難しさを感じています。これは今期のスイレイのテーマでもあるんですけど、このスイレイという会社が今後さらに発展していくためには、変化していく世の中のニーズにどう対応していくのか、という事がとても大切なわけです。時代とともに新たなサービスを構築しなければならないという課題が目の前にあるのですが、「技術」と「サービス」を結びつけていく手法を見いだしていくこと、これがなかなか難しいですね。もう「技術さえ確保できていれば、お客さんは自然についてくる」という世の中ではないんだという現実と、何十年とこの水処理業界に特化し勤め上げてきた技術者の方々の意識のギャップを、どのように埋めながら組織をまとめていくのか。これはとても大変なことだと日々感じています。

スイレイの技術力について、副社長の想いを聞かせて下さい。

スイレイは、愛知県で創業したということもあって車載部品などへメッキなどの表面処理、金属加工を施す際の排水処理技術、これに特化してやってきました。この技術は40年間蓄積してきた賜物なので、本当に細かい部分のノウハウまで含め、どこにも負けない自信と自負があります。
いま考えていることは、この技術力を更に生かし広げていくかということ。そこで僕は、先ずは高校生にでも解るプレゼンテーションをしよう、ということをひとつのテーマとして掲げています。
お客様の中にも、水処理を熟知されている方もいれば、たまたま生産ラインのセクションに含まれた排水処理設備まで見ることになってしまった方など、様々なケースがありますので、やはり解らない方には「水処理技術」というのはさっぱり解らない馴染みの薄い物だったりするわけです。
ですのでプレゼンテーションをする時、まったく解っていただけていない方にも、解ってもらっている前提で話してしまっていることが、多々あるんです。説明した当の本人はヤリきったと満足していても、結局相手には何も伝わっていない・・・。ですから、そのお客様が社内で話を上に上げる際に、充分な説明をしていただけない。これでは話にならないわけです。こういうケースは、営業を回っている中で本当によく目の当たりにする事なんです。なので、とにかく解りやすい資料作りとプレゼンテーション、これに会社としても力を入れています。

副社長就任から三ヶ月。

スイレイの技術力について、副社長の想いを聞かせて下さい。

僕は18歳くらいになるまで、自分の父親がどんな仕事をしているのかすら全く知らなかったんですよ。僕が幼い頃から父は「非同族」という言葉を口にしてきましたし、実際にスイレイはそのように運営されてきたんです。
なので物心ついた頃から「お前は自分の好きな道を歩いていきなさい。」と言われていましたし、僕も当時はスイレイに入社するなんて考えた事もなかったんです。
普通、二世の跡継ぎとして生まれると、その業種に関連した学問を学び、関連する事業に就職して学んだりすることが多いと思うんです。ですが僕の場合、まったく違う世界に飛び込んで仕事につき社会経験を積んできたので、本当にスイレイのことは何ひとつ知らなかった。水処理業界における専門用語ひとつ解らない状態だったんです。
でも結果的に、逆にそれが良かったのかな。と今では思っています。水処理事業に対する先入観もまったくないですし。ですから、本当に大切なことを素直にお客様に伝えるための言葉、手法など、どのように伝えれば理解していただけるんだろうということを、一番よく考えられるのは、実は僕なんじゃないかな、と思ったりもします。

スイレイに入社するきっかけとなったのは?

この会社に入る前は、実はカメラマンを生業としていました。その頃は京都に住んでおり、ストーリーテラーという写真館から発展した写真事務所に勤めていて、京都国際ホテル、リーガロイヤルホテル、旧ホテルフジタ、この3つのホテルで、成人式の写真や冠婚葬祭などの人物撮りの写真を撮っていたんです。年俸制で。そんな折り、父から突然連絡がありまして。本当に急に。年をとっていろいろと心境の変化があって、やはり自分と血がつながった人間でなければこの会社の経営は引き継げない、と思い至ったと。そう言われたわけです。今まで、父から聞かされてきたことからすると、これは非常に大きな変化だったんですけれども、なぜかその言葉が僕の心の中に本当にすんなりと染み込んできまして。そして二日後には、分かったという返事をして、スイレイへの入社を決意しました。

出勤した初日のこと、記憶にありますか?

自分では平然を装っていたつもりだったんですけど、実は頭の中は真っ白でしたね(笑)
そこからのスイレイでの日々は、とにかくまずは「水処理」そのものを根本から理解しなければならないと、あらゆる資料や本を読み漁りました。と言っても難し過ぎて・・・。とにかく諸先輩の方々に様々な現場に連れて行っていただいて、実際のプラントで水処理プロセスを具体的に勉強しつつ、あとは営業の方面でもお客さんとの接点を一から作らせていただいて・・・。と、そんな風に夢中に過ぎていく毎日でした。

副社長就任から三ヶ月。

その頃のことで、忘れられないエピソードはありますか?

これは、ある地方のお客様との話なんですけれども。もともとスイレイの設備を入れていただいたにもかかわらず、改良工事などを重ねた他社に設備運営をとられてしまっただけでなく、保守点検業務すら切られてしまって、すっかり疎遠になっていたお客様がいらっしゃったんです。そこである時、うちの担当者と一緒にご挨拶にうかがったのですが、取りつく暇もなく門前払いのような状況だったんです。でも、どうしても僕にはその事態が飲み込めなかったので、しばらくしてからもう一度、今度はひとりでそのお客様を訪ねさせていただいたんです。
その時、当時の自分の状況なども赤裸々に本音でお話しさせていただいて、どうしてこのような事態になってしまったのかをお尋ねしました。
そうしたら、ある時うちの保守点検業務を行っていた担当者が、良かれと思って色々な不具合を起こしうる箇所を修繕してしまったことがあったことを打ち明けてくださいました。なんの報告もなく、なんの相談もなく、そして後から請求書だけが勝手に届いた、と。これが理由で、うちとの関係が切れてしまったことが判ったんです。
これは明らかに弊社の過失であったと心から謝罪をさせていただいた上で、こうしてお客様に指導していただきながらこのスイレイを改善していきたい、なんとかもう一回だけチャンスをいただけないでしょうか、と誠心誠意お願いをさせていただきました。そこで、もう一度保守点検業務のお仕事をいただけたわけなんです。
今でも、お付き合いは続けさせていただいているんですけれども、この時初めて自分の仕事が出来た、そんな実感が得られました。
それまでの僕は、無意識に「失敗は許されない」というプレッシャーを感じていたのかもしれません。それこそが、僕が自分を二世として意識してしまっていた部分だったのかもしれませんね。無意識の意識といいますか。
でもこの時、たとえそれが失敗であったとしても、自分の気持ちを素直に表現してお客様と対話させていただければ、必ずや伝わるんだということを学ばせていただいたんです。仕事の上であっても、それはやはり人と人とのお付き合いなので、その誠意こそが大事なんだなと。すごく大切な経験でした。これは、僕のスイレイにおける仕事の仕方のベースとなっている出来事といえるかもしれません。

この仕事をするようになって「水」に対する考え方は変わりましたか?

そうですね、「水資源」というものを、生活の中で常に意識するようになりましたね。
日本は島国ということもあって、水不足そのもので苦しむことは、他の国に比べるとそれほど深刻ではないんです。
ですが世界に目を向けると、様々な「水問題」というものが顕在化してきているんです。UNESCOのデータでは、2025年には人口も水需要も1.4倍~1.6倍以上にもなることが予測されていて、それこそ「水」を巡る国家同士の争い、なんていう事態にも陥りかねない現実があるんです。こういうことには常に目を向けて意識し、考えていかなければいけない事だと思いますね。

副社長就任から三ヶ月。

これから先、スイレイの未来をどのように思い描いていますか?

スイレイはこれまで、「少数精鋭」ということを掲げてやってきたのですが、やはりそこは変えたくないんです。
まず、縁あってこの会社に入社されたスタッフの皆さん、その家族の方々にはみんな幸せであって欲しいと思うんですよ。
この会社を色々と変革し、成長させていきたいところは沢山あるんですが、それをスタッフの皆さんと共にできるのか、ということがとても大事だと思っています。それでいて、皆が常にやりがいを感じて仕事ができる組織形態を作りたい、ということですね。
あとは、スイレイを海外へと羽ばたく水処理メーカーに、という願いは強いです。すでに今でも海外展開は行っているんですけれども、もっともっと幅を広げていきたい。これは是非ともチャレンジしたいことですね。
さらには、スイレイの持っている水処理の技術ノウハウを盛り込んだ一般家庭向けのサービスというのも考えていきたいです。
例えば、ある家庭で使った生活用水をリサイクルし、同家庭で再利用できるような家庭内循環水のシステムを構築していくとか。そういった、全く新しいことにも取り組んでいきたいです。実は、アムステルダムなどには、アパートメント内で使用した排水をそのアパートメント内で処理して再利用する、という施設もすでに存在していて運営もされているので、世界のそういった場所にも積極的に視察などに出向いて行きたいと思っています。

副社長就任から三ヶ月。

この7月に、本社にあるラボ(実験施設)を新しく作り替えられたそうですね?

はい。一階を吹き抜けの実験フロアにし、二階のロフト部分は水処理関連の書籍を集めた書庫にするという、かなり大幅な改築をいたしました。
うちではもともと、このラボで実験•立証したことを撮影し資料としてまとめ、それをプレゼンテーションに使ったりしてきたわけなんですが、僕の意識としては、このラボで実験•立証するということこそが、水処理の技術を一番分かりやすく伝えられるアピールになると考えているんです。直接お客様に見ていただきたい。ですので、いちメーカーとして、この施設はきちんとしていなければいけないなと思い、改築に着手したんです。
あとは近い将来、このスイレイWebページでも、新しいラボでの実際の実験の映像などを公開し、様々なお客様に見ていただけるような仕組みも作っていきたいな、と考えています。こういうことも『スイレイの技術をいかに分かりやすく伝えていくか』という僕の一貫した考え方なのかもしれないですね。

副社長就任から三ヶ月。

スイレイに入る前にしていた仕事は、今、どうのように生きていますか?

23歳から5年間、東京でカメラマンのアシスタントをしていた頃のことは、今でも本当に役に立ってますね。
僕は、大判のフィルムカメラで建築物を中心に撮影をしているカメラマンに師事していたんですが、とにかくそこで先輩と後輩のあり方、師匠と弟子のあり方、というのを徹底的に学ばせてもらいました。
建築写真の撮影現場では、カメラマン、これは当時の僕からすると師匠に当たるわけなんですが、そのカメラマンの役割というのは、構図を決めてシャッターを切ることのみ。そして、それ以外の撮影に関わるほぼ全てのことはアシスタントの仕事なんです。なので、機材の手配、セッティング、フィルムの充填、撮影の補佐全般、現場からの撤収、そのすべてが僕の仕事だったわけです。そして、ひとつの撮影が終わったらいかにスムーズに次の撮影に移れるか、それがアシスタントのレベルになってくるんです。つまり、次の行動に移る時、あなたはどれだけ気がつけるの? ということを常に問われるわけです。
これは、本当に今の仕事に繋がっていますね。次にお客様が求めていることは何なんだろう? ということが会話の中で自然に読み取れるようになったのは、こういった経験が大きいと思いますね。当時は愚痴ばっかり言っていましたけど(笑)
僕はそもそも、姉、姉、僕っていう環境の中で育ったので、世間一般からみるといわゆる甘ちゃん育ちだったかもしれないんですけど、この東京でのアシスタント生活をまっとうできたことが、自分の強いバックボーンになっている、と今では思っています。

写真家を志した、そもそものきっかけは?

つい最近、実家を掃除していたら出てきたんです。スケッチブックにいっぱい描かれた絵が。僕が一番最初に始めた習い事が絵画教室だったんですけど、本当に幼い頃からクレヨンで、とにかく放っておけばずっと絵を描いているような子供だったんです。そこからだんだんアートに興味を持つようになって、美術系の仕事に進みたいと思い、そういう専門学校に通ったりもしていたんですけど、どうも机にじっと座って絵を描いたりするのは自分の性に合わない。さて、どうしようか思い悩んでいた頃、星野道夫というアラスカの風景と動物を撮っているカメラマンの写真展にたまたま行ったんですよ。その時に、その場で心を奪われてしまって、もう写真の世界に入ろう、と心に決めたのがきっかけですね。
もともと漠然と、人に笑ってもらったり喜んでもらったりするのが好きだったので、こういう表現の仕方があるんだということを知って、そこからのめりこんで行った感じですね。

副社長就任から三ヶ月。

仕事をしていく上で、今、一番に大事していることはどんな事ですか?

写真の仕事をしていた頃の自分とも繋がっているんですが、僕が常に心がけていることは「とにかく人に喜んでもらいたい」ということなんです。現状からどのようにしたらその物事が良くなるのか?、この人に幸せを感じてもらうためにはどうすれば良いのか?、これはイコール「サービス」というものに繋がっていくと思うんですけど、そういうことを考えた上で実践に移していくことが、すごく性にあっていて好きなんです。「経営」という思考は、まだ自分の頭の中で全然育っていないと思う反面、「サービス」「マネージメント」という思考に対しては、いまものすごくチャンネルがあっているので、それを常に意識しながら仕事をすることを心がけています。

本日はどうもありがとうございました。